阪急タイガース?

dechidon2006-04-21

阪急タイガースか?という言葉も出回っている。
そこで、思い出すのは、阪急の創始者小林一三は日本のプロ野球創設の立役者であること。
第一回全国中等学校優勝野球大会(現在の全国高校野球選手権大会)が開かれたのは、豊中球場であり、この球場は、当時の箕面有馬電気軌道(今の阪急)が作ったもの。大会は、大阪朝日新聞との共催だったはず。
それを様々な言いがかり(参加校が増え、宿泊、移動などが難しいなど)をつけて鳴尾球場に誘致したのが阪神
阪急は、その後宝塚にも球場を作り、ここにプロ野球球団(宝塚運動協会)を擁したこともある。
ブレーブスも創設したこともあるし、日本野球史のこうした功績もあり、小林一三野球殿堂入りをしている。
阪神電鉄阪急電鉄の合併話は、阪急創業当初にもあった。
逸翁自叙伝によれば、阪神との合併話は当時の阪急(まだ箕面有馬電気軌道)社長岩下清周と阪神の社長今西林三郎との間で進められていたらしい。既に経営基盤を確立しつつあった阪神は阪急を吸収する形だったようだ。その後、再度の合併話のときは、小林一三も賛成し、対等合併の方向で話が進んだがうまくいかなかった。「阪神に合併されるものとせば、阪神の伝統的建設方針と営業方針は、これには全然大反対ですから」と当時の社長平賀敏が言ったという(もっとも、経営は小林に一任されていた)。この頃から、既に企業文化は大いに違っていたのだ。(1920年〜27年ころの話だと思われる)