安全とサービスを対立的に捉えてはいないか?1

<安全はサービスの礎>
駅員や乗務員の職務の本分は「安全管理」ではないだろうか。
航空会社の客室乗務員を今の半分に減らせば、多少、料金は安くなるのではないかと思うが、それはやらない。客室乗務員の本分は、飲み物を配ることではなく、乗客の安全を守ることだからだ。これは、鉄道員もバス乗務員も基本的に同じはず。
「安全」と「サービス」を天秤にかけてしまう過ちを犯す交通企業は多い。曰く、「安全確保をすると、サービスはできない」と。
「安全」は「サービス」の礎であり、最大の要素ではないだろうか。
サービスとは顧客の要望を察知し、これを満たすことであって、「安全」や「安定」は顧客の最大の「要望」のはずだ。だから、航空会社の客室乗務員は、コップを回収しながらも、シートベルトを確認する。もし、ルールに従わない乗客(シートベルトを締めない、携帯電話を使う等)がいて、それを見逃す客室乗務員がいたら、その航空会社の飛行機にはもう乗りたくないと思うだろう。乗客の最も求めているものは安全であって、「わがままを通してくれる」ことではない。
そのことに関して、鉄道もバスも変わりはしないだろう。「沿線価値向上」と「安全・安定輸送」は、遠いように感じるが、そうではない。事故がないことは最大のサービスであり、沿線価値向上の礎なのだ。

<手を変え品を変え、言い続けなければ忘れられる>
安全・安定に関しても絶えず言い続けなければ宝塚線の事故のように忘れられてしまうことが恐ろしい。JR西日本の年度方針が「稼ぐ」であったことが批判を受けた。その方針が出た背景には「安全・安定輸送は当たり前。いまさら強調することではないし、強調しようにも新味を出せない」という意識があったのではないだろうか。「当たり前のことで、今さら意識の中に改めて刷り込むことではない」と考えてしまったのではないだろうか。
残念ながらそうではなかった。職場の風土・一人一人の判断基準として「安全」が「薄いもの」「優先順位の低いもの」になってしまっていた。安全・安定輸送は、最大のサービスであり、絶えず「手を変え、品を変え、言い続けなければいけない」ことなのだ。